アメリカ屈指のスーパースター、マイケルジャクソンの逸話を紹介します。
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誰もが知る超名曲「スリラー」のエピソード6選を紹介。
「スリラー」はマイケルジャクソンのアルバム名であり、曲名です。
先にアルバムが出て、約1年後にシングルとして発売されています。
アルバム「スリラー」は世界で1番売れたアルバムとしてギネス登録されている。
2012年のギネス登録時には6,500万枚という驚きの売上枚数になっています。
売上枚数には諸説あるらしいですが、モンスターヒットには違いないです。
また、グラミー賞で8部門を獲得するという前人未到の記録を打ち立てました。
その8部門はこちら。
- 最優秀レコード
- 最優秀アルバム
- 最優秀男性ポップ歌手
- 最優秀男性ロック歌手
- 最優秀男性R&B歌手
- 最優秀R&Bソング
- 最優秀児童向けレコード
- 最優秀プロデューサー(クインシー・ジョーンズ個人の受賞)
「スリラー」が発売されたのはハロウィンの少し後。
現在ではハロウィンといえばスリラーですが、このアルバム「スリラー」が出たのは1982年12月1日。
シングルカットされたのは約1年後の1983年11月12日と、どちらにしてもハロウィンの少し後に発売されています。
有名なミュージックビデオのフィルムはアメリカ議会図書館で永久保存されている。
2009年、ショートフィルムとして史上初めてとなる永久保存が決まりました。
アメリカ議会図書館には超メジャーな映画やアニメーションが保存されています。
この一覧を見れば、ショートフィルムとしてこの中に入るのがどんな偉業なのか分かります。
参考 アメリカ国立フィルム登録簿フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「スリラー」のミュージックビデオ制作費は1億2,000万円。
制作費は驚きの1億2,000万円。当時のミュージックビデオは制作費1,200万円ぐらいが普通だったようです。
ゼロが1個多いという規格外のスケールです。
もちろん裏方にはとてもこだわっていて、特殊メイクにはリックベイカー(特殊メイク界の巨匠)、曲中のナレーションにはヴィンセントプライス(有名なホラー映画俳優)がつとめています。
アルバム「スリラー」からシングルカットされたこの曲は言うほど売れていない。
アルバムが先に発売され、あまりにも売れすぎたためシングルカットされた「スリラー」はそこまでヒットしませんでした。
それでも全米4位、全英10位と普通にヒットしているのが凄いです。
「スリラー」はマイケルジャクソンの作詞・作曲じゃない。
マイケルジャクソンといえば作詞・作曲・歌・振り付け・演出となんでもこなすスーパースターですが、この曲は作詞・作曲をしていません。
ロッド・テンバートンと言うイギリス人プロデューサーが作った曲です。
アルバム「スリラー」に収録されている超ヒット曲「ビートイット」「ビリージーン」はマイケルジャクソンの作詞・作曲です。
彼の代表曲の1つ、「ビリージーン」。
「ビリージーン」でムーンウォークを初披露した
あの有名なムーンウォークを初披露したのはこの曲です。
初めてムーンウォーク見たときの不思議な気持ちは今も忘れません。
下の動画がムーンウォーク初披露の瞬間です。(ムーンウォークのところから始まります。)
マイケルジャクソン「ビリージーン」は初のショートムービー
マイケルジャクソンには有名なショートムービー(ミュージックビデオ)がたくさんあります。
例えば、「スリラー」「スムースクリミナル」など。
「ビリージーン」はその歴史の初めての作品です。
制作費は約6,000万円。このお金は、CBS(アメリカの有力な放送局)が出しています。
マイケルはショートムービーに異常にこだわっていたため「ミュージックビデオ」と呼ぶことさえ嫌がりました。
マイケルは自伝でこう語っています。
僕はそれをビデオと呼ぶことさえ嫌なのです。撮影現場でもスタッフたちに、僕らの作っているのは映画なんだ、と説明したのです。
それが僕の取り組み方でした。実現可能な限り、最高のカメラマン、最高の監督、最高の照明スタッフといった、その業界で最も才能のある人々を僕は探し求めました。僕らはビデオ・テープを使わずに35ミリフィルムで撮影しました。真剣だったのです。
ムーンウォーク|マイケルジャクソン自伝 217ページより引用
ビリージーンで有名な手袋は約1,700万円の値がついている。
ムーンウォーク初披露のライブで身につけていたキラキラの手袋。
この手袋は度々オークションにかけられ、2010年には1,700万円の値がついています。
現在でもっと高値がついているかもしれません。
「ビリージーン」は「ノット・マイ・ラヴァー」と呼ばれていた。
世に出る前は「ノット・マイ・ラヴァー」と名付けられていました。
この曲の歌い出し「Billie Jean is not my lover」の部分違いですね。
マイケルが「ビリージーン」と名付けたのですが、プロデューサーは、「人々がそのタイトルを聞いて、テニス選手のビリー・ジーン・キングを思い出すのでは?」と心配したそうです。
今となっては、ビリージーンの方がカッコよくていいと思います。笑
マイケルジャクソン、ビリージーンのことを考えすぎて死にかける。
マイケルジャクソンは、曲作りに夢中になり死にかけたそうです。
ある日、ハイウェイを車で走行中のマイケルは、バイクの少年にこう呼び止められます。
「火を吹いているよ」
マイケルは路肩に停車し、助かりました。乗っていたロールスロイスの車底が燃え上がっていたそうです。
その出来事についてマイケルは、こう語っています。
車が爆発していれば、僕らは死んでいたにちがいありません。
でも、頭の中に浮かんできた曲の調べに夢中になっていて、後になるまで僕はそんな恐ろしい結末を予想すらしませんでした。
それに助けられて、目的地に向かう別の手段を考えている最中も、僕は黙々と補足すべき部分の作曲を続けていました。僕はそんな調子で「ビリー・ジーン」にのめりこんでいたのでした。
ムーンウォーク|マイケルジャクソン自伝 209ページより引用
ビリージーンの和訳がわかりやすいサイトはこちら。
参考 マイケルジャクソン/ビリージーン(和訳)YOUGAKU HACKやっぱりスーパースターですよね。
生きていれば、2019年の今年で61歳でした。
アメリカでもマイケルを超えるようなスターは出てこない気がします。
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